最初で最後の風太がいない春一番-嵐とスタッフの会話
大阪の野外コンサート『春一番 BE-IN LOVE-ROCK』が、2025年5月3日(土・祝)~5日(月・祝)の3日間、豊中市・服部緑地野外音楽堂にて開催。1971年に初回が開かれ、1979年を最後に休止期間を挟み、1995年から再開。ゴールデンウィークの風物詩として長く親しまれてきました。その後コロナ禍による中止もありましたが、今年37回目の開催を迎えます。
昨年の開催を終えた6月10日、『春一番』の顔であるプロデューサー・主催者の福岡風太が76歳で死去。それを受けて今年は、風太が第1回『春一番』前年の1970年に開催した野外コンサート『BE-IN LOVE-ROCK』を副題につけ、最後の開催となることが発表されました。
かつて『春一番』には事務所があり、スタッフやミュージシャンがそこに集まり、風太の話を聴きながら、みんなで会話をしながら、このイベントのことを知っていく文化がありました。しかし2021年に閉所。そして風太も亡くなったことで、もう本人から『春一番』の話を聴くことはできません。そして今年『春一番』がラストを迎えることで、今後は関わった人や参加した人の記憶の中でだけ、生き続けるものとなります。
本テキストは風太の息子であり、昨年は風太に代わって主催と司会を務めた福岡嵐と、2013年から参加している有志スタッフによる、昨年からの振り返りと今年の狙いについての打ち合わせの内容を起こしたものです。事務所があった当時、奥の机で風太が喧々諤々と議論しているところを、有志スタッフが作業しながら盗み聞きしているような、あの感じを少しだけでも共有できれば幸いです。最後の『春一番』はすでに始まっています。
――:2024年の『春一番』が終わったとき、どんな気持ちだった?
嵐:最終日に入院中の風太がどうにか会場に来ることができて、ハンバート ハンバートが「生活の柄」を演奏したタイミングでステージに車いすで登場させたシーン※があったでしょ。あの光景を作れたことの達成感はやっぱり大きかったね。
※詳しい状況は昨年のライブレポートを参照(https://antenna-mag.com/post-72168/)
――:その前年、2023年の時、風太さんは嵐くんの肩を借りながらも毎日出てきていたけど、去年はそれまでずっと出てこなくて。嵐くんが代わりにMCをしていたから、心配していたお客さんも多かった。だからこそ登場したときの、盛り上がりはすごかったよね。お客さん、演者、スタッフ、みんな泣いてたし。
嵐:正直なところ風太の先がもう長くないってわかっていたから、去年はやりながら今回で最後だなって思ってたんだよね。やっぱり風太がいない『春一番』はできないと思っていたし、死ぬまで『春一番』をやり続けるってことをこれで全うできるだろうって。でもあそこで風太が登場して、無事にまた病院に送り届けることができた瞬間、「あれ?来年からどうすればいいんだっけ?」とちょっとだけ思って。
――:どういうこと?
嵐:あの時、風太はちっちゃい声で「ハンバート ハンバート~」って紹介したけど、「春一番終わります」とは言ってないのよ。そういえば僕もその後の終演の挨拶のときに「春一番2024、終わります。どうもありがとうございました。」としか言ってなかった。
――:「風太が死ぬまで『春一番』を続ける」ことは決めていたけど、「風太が亡くなった時点で『春一番』は終わる」ってことをちゃんと決めてなかったし、伝えられていなかったってことか。
嵐:そうそう。それで終わったあと風太は、やること全部終わった気でいるなってくらい日に日に弱っていって6月10日に亡くなった。そこからまた葬式とかでバタバタして、だいたい9月くらいに僕の生活も落ち着いたんだけど、そこでようやく実感が沸いてくるというか。「あ、風太もういないんだなー」って。
――:来年の『春一番』を風太なしでやるかどうか、ちゃんと考え始めたと。じゃあそのタイミングで今年やることを決めたの?
嵐:いや、その時点ではもうやらないというか、あえて語弊も恐れず言うともうやりたくないって思った(笑)。僕にも生活があるし。でも開催を期待されているのはわかる。去年、一昨年とお客さんの前に立って風太の代わりにステージで喋っちゃったからね。
――:確かに『春一番』は嵐くんが継ぐんだと捉えた人も中にはいると思う。
嵐:実際に「これからも春一番を楽しみにしています」っていうメッセージも去年たくさん届いた。でも『春一番』を継ぐことはないってことは、僕が関わり始めた20年くらい前から風太と話していて。風太も「『春一番』は俺のもんや。何かやりたければ、自分で立ち上げろ」って言われてたし、僕もそう思う。
――:やりたくないけど、やることにしたのはなんで?
嵐:大前提として本当は風太が生きている内にちゃんと終わらせるべきだった。実際2020年に『終 春一番』としてラストにする予定だったけど、結局コロナで出来なかったじゃん。
――:確かに。2020年から3年間開催が出来なくて、2023年に再開した時もそこで終わりとはならなかったよね。その間、風太さんはどんな様子だったの?
嵐:おしげさん(福岡榮子)が2018年に亡くなってから、体調も気力もどんどん弱っていって。2019年の『春一番』はもう意地だけで立ってたから、2020年で終わろうって説得したのよ。でも終われなくなっちゃったから、コロナ禍はずっとリハビリを頑張っていて。もう「『春一番』を終わらせるため」というより、「俺はまた『春一番』をやるぞ」っていう気持ちだけで生きていた。それで2023年にやっとできる状態になったんだけど、開催を告知した数日後にまた脳梗塞で倒れる。そりゃ悔しかったと思うよ。でもなんとか2023年は僕に担がれて出てきてさ、マイク向けたら「死ぬまでやるぞ!」って言いだす(笑)。それで何とか2024年まで何くそ根性だけで命を残していたって感じ。父親ながらすげぇ生き方だよ。パンクスだなと思ったよね。
――:じゃあ風太さんが終わらせなかったものを、ちゃんと終わらせるために今年やるってことか。
嵐:そうね……誰かがちゃんと終わりって言わないと、なんかけじめがつかないなって。それは『春一番』に来てくれるお客さんにとっても、スタッフや出演者にとっても。僕にとっても、次の人生が始められない気がした。そうなったら、僕が言うしかないじゃん。風太の息子に生まれちゃったんだから。その使命感だね。
――:今回『春一番 2025』ではなく『春一番 BE-IN LOVE-ROCK』というイベント名にしたのはなんで?
嵐:1970年4月に風太が最初に作った野外コンサートのタイトル。このアイデアを思い付いたのは鏡さん(鏡孝彦:株式会社グリーンズコーポレーション社長)で。聞いた瞬間、なんかすごく意味があると思って決めた。
――:『BE-IN LOVE-ROCK』はどんなイベントだったんだろうね。
嵐:僕も資料で知るのみなんだけど、天王寺野外音楽堂でコンサートとビートルズの映画の上映会をやったらしい。その後、8月に大阪城公園で『ロック合同葬儀』、10月に京都円山音楽堂で『感電祭』を開催して、1971年の第1回『春一番』につながっていく。風太はこの時、22歳だよ。よくこんなことやろうと思ったよね。
――:元旦に最後の開催になることを発表してしばらく経ったけど、反響はどう?
嵐:みんな納得してくれている。風太がいないなら仕方ない、むしろ最後やってくれるんだっていう感じ。「残念です」とか「終わらないでほしい」という意見はほぼなかった。去年か一昨年くらいから来るようになった人が「これから毎年行こうと思っていたフェスだったのに」っていうコメントは見たかな。でも、正直ほとんど反応は見てないけどね。
――:『春一番』がいわゆるロック・フェスティバルとは違うということは、最後まで伝えていきたいね(笑)
嵐 :あくまで「野外コンサート」。11時の開場・開演から18時30分まで、ステージ観たりゆっくりしたり、『春一番』という時間を楽しんでもらいたい。この違いはなかなか伝わりにくいよ。誰かお目当てのアーティストが観たいから来る人も多いけど、その期待に応えられてないなといつも思っている。タイムテーブルは発表しないし、1組20~30分くらいしかないし、他のフェスや、普段のライブより満足できないだろうなって。
――:最後はどんな内容にしようと考えている?
嵐:どういうものを見せればいいか、今ずっと考えているところ。でも今までとは少しだけ違う考え方になるね。大枠の基準としては、今でも現役でいい音楽を続けている人であり、『春一番』および風太との関わりが見える人に絞ることになりそう。ここ数年、風太があんまり色んなライブを観に行けなくなってきたのもあって、僕の推薦した新しいアーティストに出てもらうこともあった。でもどう頑張っても1日に出てもらえるのは12~14組くらいだから、もうその枠は作れなさそう。
――:『BE-IN LOVE ROCK』から足掛け55年というこのイベントの歴史を一望できるラインナップになりそう。
嵐:それをするには必要不可欠な人たちが、もう半分くらいこの世からいなくなっちゃったけどね。でも『春一番』の歴史って、同時に70年代から現在までの日本の音楽の歴史ともいえると思うんだよ。日本のロック、フォーク、ブルース、ジャズのルーツと言える人たちが出演してきた。もちろん他にもそんなイベントやフェスティバルはあるだろうけど、当時と全く変わらない形で今まで続いてきたのは『春一番』だけ。だからこの野外コンサートに関わってくれて、今もそれぞれの活動を続けている人たちのパフォーマンスをしっかり見せるのが重要だなと思っている。
――:開催宣言で「追悼でもなく、記念でもなく、当たり前でもありません。いつもの頃に、いつもの場所で会いましょう」と嵐くんは書いていたけど、最後に特別なことをするんじゃなくて、しっかり今まで通りの『春一番』をやりますよってことだと受け取った。
嵐:そうだね。人気者を呼んで、豪華にフィナーレを迎えるような感じではない。今まで続けてきたことを踏まえて、呼ばざるを得ない人に声をかけていく。毎年同じような顔ぶれって言われ続けてきた歴史でもあるけど、風太は1年かけて色んな人のライブを観て、全組必然性をもってオファーしてきた。風太の基準に適う演者となったら、毎年ゼロから考えてもそうなるんだよ。そしてそれをどう新しく面白く見せるかをずっと考えていた。だから今年もちゃんと「風太の祭」をやるってことです。
――:毎年来ている人も、しばらくご無沙汰していた人も、最後に1回行ってみたいっていう人も全員集まれたらいいね。
嵐:だから今回のテーマは「感謝」ですよ。出演者にもお客さんにも、スタッフにも。今まで関わってくれた人にありがとうと言うために開催します。さて、こっから本番までどんどんやること増えてくよー。まずさ、そろそろ有志スタッフの募集を始めないと。それをどうしようかねと……。
(2025年1月15日 春一番仮想事務所で)
取材・執筆:峯 大貴
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大阪・太融寺かつての春一番事務所にて(2020年撮影)